島田さん、迷う。
島田さんは、デパートの1階で
指輪を見ている。
あっちゃんは、いらないって言いそうだな。と思いながら。
でも、普通がいいって言ってたよな。とも思いながら。
あっちゃんは、テレビを見ながらよく泣く。
結婚式、出産、闘病、はじめてのおつかい、動物たち。
なんでも泣く。
もしも結婚式をしようと言ったら。。指輪を渡したら。。
きっと泣く。
いらないと言われる確率、泣いて喜ぶ確率、喜びすぎて過呼吸になる確率、
いろいろと考えて
また、可愛らしいものがいいのか、シンプルなものがいいのか
頭を悩ませながら
ショーケースの中の指輪たちを見つめる。
今日も、決められそうにない。
よくやってくる島田さんを、お店の人も覚えてしまった。
この人にはいつか何かを決めるまで、声をかけずにいよう。
そう、暗黙の了解となっているのを
島田さんは知らない。
■
しばらく、何もしない日が続いていた。
そんな時あっちゃんは、やさぐれる。
何かを丁寧にやらないと、自分が持ってかれてしまう。
そんなふうに、怖くなって何かに取りかかる。
昨日のあっちゃんは、お味噌汁を作った。
朝、昆布にお酒をハケで塗る。
軽くあぶる。
こうしたらいいかな?の勘だけで、いろいろとやって、お出汁をとった。
大根を細く切る。
皮は塩漬けにする。
葉っぱは、油揚げとともにごま油で炒めて、醤油で味付けする。
あくを丁寧に取り除く。
そして、前の冬にひとり黙々と仕込んだ豆味噌をすり鉢にいれ、お出汁を少しづついれて、ごりごりとのばしていく。
ごはん
菜っ葉と油揚げの炒めもの
大根の皮の塩漬け
お味噌汁
が、出来上がる。
シマくんと、食べる。
ふたりで、お味噌汁をすすり
ほーっと息をつく。
それだけ。
それだけで、あっちゃんはまた、自分を取り戻した気がした。
あっちゃんの観察。
島田さんと、シマくんは
台所に立つあっちゃんを見ている。
何か作ろうとしているあっちゃんは、豚肉のパックを見つめている。
次の瞬間、新鮮なそれをゴミ箱に落とした。
あっ。という島田さんと
ニコニコしているシマくん。
2人に気づいたあっちゃんは、バツが悪そうに笑う。
なんかね、そうしたかったの。
そっかそっか。と、島田さんは言う。
白菜をリズミカルに切り始めたあっちゃんの横顔を眺める。
シマくんの方を見ると、おかしくてたまらない、という顔で笑っている。
あのさ、ママはこれでいいんだよ。これが大事なんだって。
と言う。
後から聞いたら
だって私、ずっと自分のしたいこと無視してきたからね。
生々しい話だと
顎が外れそうに痛くたって、あそこが擦り切れて痛くたって、口の中が気持ち悪くたって、全部全部無視して、毎日仕事してたわけよ。
私の中の私が、例え嫌だって言っても、全然聞いてやらなかったわけよ。
よく考えたら、どうしても働かなきゃならなかった訳でもないのにさ、嫌なことばっかりしてさ、トラウマみたいなものたくさん作ってさ
ある時から、アホらしくなったんだよ。
だから、衝動的でも、頭がおかしく見えてもね、私はその時体が動くように動くの。もう止めないんだ。
岩清水豚は、今日は食べなくていいんだ。
と、言っていた。
なるほど。と思った。
俺は、自分のしたいことに任せて、どんなことでもしているだろうか。
そう思うと、あっちゃんの方がよっぽど逞しいな。
そう気がつく島田さんだった。
あっちゃんの望み。
「それでさ。」
あっちゃんは言う。
「私さ、もう普通がいいわけ。」
島田さんは、うなづく。
「なんにもいらないわけ。シマがいたら。
シマがいなくてもいいよ。いなくなっても私はその日からビール飲んでると思うよ。食べられるかはわからないけど。
とにかく、私は私しかいらないわけ。私だっているかわからない。
なんにも、もうなんにもいらないのね。
あなたのことも、いなくなったら忘れてしまうよ。
いたら好きだけど。
いなくなっても好きだろうけど。
でも、私はシマも島田さんも、いなくなったらいなくなったで、受け入れてすぐ普通に戻ってしまうよ。
それでもいい?」
島田さんは、笑おうとした。
けれど、涙が出た。
「それって、俺とシマをすごく好きだってことだろ?」
と言った。
「好きだよ。今日の晩御飯にしてもいいよ。」
と、あどけない表情であっちゃんは言った。
怖い顔。
島田さんは、怖い顔をしていた。
目の前のあっちゃんは、泣いていなかったけど、それはただ、乾いてしまったから。あっちゃんを知る人なら、それは簡単に見分けがつくだろう笑顔だった。
「ビールおかわりと、んーなんか臓物系が食べたい。」
と、店員さんを呼んで明るくオーダーしている間も
島田さんは怖い顔をしていた。
「なぁ。」
なんだか痛そうな声だった。
「なぁ、あっちゃん。裁判も何もしてないわけ?慰謝料もなしなわけ?」
あっちゃんは笑う。
「知らない間に話が済んでたんだよね。」
「あっちゃん、シマくんの養育費ももらってないよね。なんで?」
「んー、わからない。」
島田さんが腹を立てていたのは、過去の男たちなのか、あっちゃんになのか
島田さん本人にもわからなかった。
「あっちゃん。アホだな。まわりも何も言わないのか?親は?」
そう、珍しく憤る島田さんに、あっちゃんは笑顔をやめて
無表情になった。
あどけない無表情だった。
「いいの。私みたいな人もいるの。」
島田さんにはわからなかったけど
不器用で、繊細で、感じすぎるけど、何も感じなくなっていて、とても哀しく、頑張らなくても笑顔になれる世界が
確かにあるのだった。
島田さんは、思った。
あっちゃんは、俺で大丈夫だろうか。
しかしその疑問が、たまらなくあっちゃんを寂しくさせることも
いざとなったら何も言わずにあっちゃんが去っていくこともわかっていたので
そのまま一緒にいてみよう。と思い直した。
こどもを産むということ2
七五三に、姑からその子の写真が送られてきた。
ポストにそれを発見したのは私で、裏庭に続く砂利道に座り込んで開封して、それを見た。
あの時、私の脳の回路が、いかれてしまった。雄叫びをあげて泣く私を、両親が引きずって家の中に入れたらしいけど、私は覚えていない。
数えきれない男と寝たけれど、男たちにその写真を見せていたことは覚えている。
引っ越しの度に持ち歩いていたら、今はどこかにいってしまった。
それでいいのだと、1度も探さなかった。
たまに、思うのだ。
シマくんは、ほんとにいるのだろうかと。
何度も何度も、途中で死んでしまうことを想像した。
私に子どもがいるわけがない。この子はいなくなって当然の存在なのだ。
そう、信じていた。
けれどシマくんは、今日も元気で
私を求めて抱きついてくるのだ。
しあわせだ。そして同時に、今この子がいなくなっても、私は何も変わらない。と思う。
いついなくなっても不思議ではないから、どんなに優しくしても足りない。
そう思っている。
ねぇ、シマくん。早く出て行ってね。ママはこんなしあわせに耐えられないんだよ。