ホームレスと、筆談と。
東京にいた最後の半年間は、ホームレスだった。
親と一切の連絡を絶ち、フラフラしていた。
その間、いろんな人と知り合った。
遊んだり、恋をしたり、お金を稼いだり
今思い出しても、あの頃の私は生きていた。
もう一生親のもとには帰らないと思っていた。
けれどある朝、私は捕まる。
強制的に地元に帰る。
そこからは、ただただ地獄だった。
声が出なくなった。
筆談するようになった。
病院に通うようになった。
親がいくら思ってくれても、決定的にすれ違っていた心が交わることはなく
私は何もできない人形のようになっていった。
小さい頃から、私の声は遮られ、いつも人の言うことを聞いていたと思う。
自分で選べない。嘘をつかないとうまくやれない。はしゃいではいけない。逆らってはいけない。
幸せになってはいけない。
そんな風に、親は私に期待していると思っていた。
だから、親が望んでいるといっても、決して私は親の前で幸せになるわけにはいかなかった。
不幸そうな私でいないと、家に居場所はないと思っていた。
でも、覚えている。何年後かのお正月、たどたどしくも
あけましておめでとう。
が言えた時、父も母も兄も、泣いて喜んだことを。
そんな風に、たまに心が通い合う瞬間を持ちながら、上辺だけの家族をずっとずっと、私たちは続けている。
風俗の世界。
屋上からの夜景。
高校を出てすぐ、私は上京した。
大学に通いながら、演劇がやりたいと思っていた。
サークルの勧誘は、どれも私には賑やかすぎて、なにか部活をやろうと部室めぐりをしていたら
探検部という看板を見つけた。
ドアをノックすると、金髪の男の子がマンガ片手に出てきて、
入部?俺も一年だよ。と言う。
彼との出会いも大きな思い出だけど、ここで話すのは同じ学年のセクシーな女子たちのことだ。
田舎から出てきた私には、生まれも育ちも東京のその子たちは、どうしても同い年には見えなかった。
豊かな胸に、キュッとしまった腰。程よく大きなお尻。ロングヘアをかきあげながら、先輩たちに明るくお酌をする。
芋だ。私はもっさい芋だ。女としての自信をなくすほど、その4人は完璧だった。
キャバクラでバイトしていると聞いて、妙に納得したのを覚えている。
あっちゃんは?体験入店いってみる?
と聞かれて
えー私には無理だよ。と遠慮しながらも、その高額な時給にひかれていた。
その中の1人と仲良くなって、
一緒に夜な夜なクラブ通いをするようになる。
私はどんどん夜行性の人間になっていった。
バイトしなきゃな。と思い
歌舞伎町にある居酒屋の面接に行った時だ。
面接に現れた男が、今日は違う場所でやるといい、その辺のビルの階段をずんずん登っていく。
私も慌ててついていく。
ついた場所は、屋上だった。
発せられた言葉は一言。
パンツぬいで。だった。
そこから、私の人生はゆるゆると狂っていくことになる。
どうして話したいの?
焼き鳥屋の個室で向かい合って、また話そうとするあっちゃんに、
島田さんは聞いた。
なんだろうね。たまには、私がたくさん喋りたいのかな。
聞いてくれるだけでいいよ。
何かしてほしいわけじゃないよ。
ただ聞いて、知ってほしいだけかな。
島田さんは、頷く。
確かにさ、重たいっちゃ重たい話だから、何かしてあげたくはなる。
気の利いたことがいいたくなるよ。
でもあっちゃん、そういうのはいらないんだね?
俺は聞いてればいいのか。あっちゃん劇場を。
うん。
話したいだけ。聞いてほしいだけ。
それでもいい?
もちろん。
島田さんは思っていた。
今まで誰にも話さずにきたものを、口に出したら
あっちゃんは何か変わるんだろうか。
心が軽くなるんだろうか。
それにしても、聞き手に選んでくれたんだなぁ。
こんな俺をなぁ。
出会うもんなんだね。うん。
なんでも話してくださいよ。ただ聞いてるからさ。
俺がみてるのは現在のきみだけ。
なにを聞いても、ちょっと同情するくらいのもんだ。
あっちゃんはビールを一口飲み、また話し出す。
眠れない夜。
8.シマくんの気持ち。
結局、話し終える前にお迎えの時間になってしまった。
あっちゃんは保育園に小走りで向かう。
門をあけると、誰かお友達の声がした。
シマくんのママきたよ〜!
その子はいつも門の方を見ているんだろう。
シマくんのママ〜と話しかけてくるのに手を振る。
保育園を出て、2人で歩きながら話す。
「今日ね、お兄ちゃんいるよ。」
「ええっ!やったー!」
角を曲がった公園で、島田さんは待っている。
「おっ!きたな!おかえり」
と笑う彼に、シマくんが走り寄っていく。
「今日はお外でご飯だよ。」
と言うと、シマくんの顔がぱぁっと明るくなる。
「やったぁぁぁ!ラーメンだー!」
と叫んだので、ラーメン屋に行くことにした。
3人で歩く。影が伸びる。
昨日の夜。シマくんと洗濯物を畳んでいる時だ。
「ママ、もう寂しくない?」
と目を丸くして、そう聞いたシマくんを、あっちゃんは静かに見つめた。
「ママは寂しくないよ。シマくんは?」
「シマくんは、パパに会いたい。」
思った通りの答えに、あっちゃんの胸はキュッとなる。
「そうだね。会いたいね。」
と答えると
「パパなつかしいねぇ」と笑った。
そして、少したってから言った。
「ママ、お兄ちゃんまた遊びにくるからね。待ってようね。」
あっちゃんは大きな決意を持って、シマくんのパパと離婚をした。
今は会うこともなくなったけど、もう少したったらシマくんに住所を教えてもいいと思っている。
まだそこに住んでいればの話だけど。
そんな2人にとって、突然現れた島田さんという人は、ホッとする存在なのだ。
シマくんはたまに言う。
「お兄ちゃんがいるから大丈夫だよ。寂しくないよ。」
それからこう続ける。
「シマくんがママを守ってあげるからね。」
あっちゃんには、守ってくれる男性が2人いる。
なんて心強いんだろう。
7.キスの温度。
「ね、その前に一回ちゅーしたいよ。」
と甘えてみると
島田さんは笑う。
「どうぞ。」
と目を閉じた顔は、子どもみたいに笑いをこらえている。
唇をつける。舌で上顎を丁寧になぞる。
「昨日エロ動画みててさ、こんなことしてたの。」
と言うと
ぶーっと吹き出す。
「あなたね、ムードってもんがないのかい」
と笑いながらぎゅっと抱きしめてくれる。
軽くキスして
「どんなのみたの」と聞くので
あっちゃんは得意げな顔で
「寝起きドッキリからの早朝ハメみたいなやつ。」
というと
島田さんは爆笑した。
「なんでもありだな!AV業界!」と腹を抱えて笑っている島田さんに
今度は何も言わずにキスをする。
目が合う。
する?と目で話す。
「よし!ピンクレンジャー合体だ!」
と勢いよく島田さんがベッドに向かうのを
声を出して笑いながら、追いかけて後ろから抱きつく。
2人で笑いながらベッドに倒れこんで
好きで好きでたまらない顔で見つめ合いながら、
シマくんのお迎えまでに話が終わらなくてもいいや。と
あっちゃんは思っていた。