島田さん、迷う。

島田さんは、デパートの1階で指輪を見ている。あっちゃんは、いらないって言いそうだな。と思いながら。でも、普通がいいって言ってたよな。とも思いながら。あっちゃんは、テレビを見ながらよく泣く。結婚式、出産、闘病、はじめてのおつかい、動物たち。な…

しばらく、何もしない日が続いていた。そんな時あっちゃんは、やさぐれる。何かを丁寧にやらないと、自分が持ってかれてしまう。そんなふうに、怖くなって何かに取りかかる。昨日のあっちゃんは、お味噌汁を作った。朝、昆布にお酒をハケで塗る。軽くあぶる…

あっちゃんの観察。

島田さんと、シマくんは台所に立つあっちゃんを見ている。何か作ろうとしているあっちゃんは、豚肉のパックを見つめている。次の瞬間、新鮮なそれをゴミ箱に落とした。あっ。という島田さんとニコニコしているシマくん。2人に気づいたあっちゃんは、バツが悪…

あっちゃんの望み。

「それでさ。」あっちゃんは言う。「私さ、もう普通がいいわけ。」島田さんは、うなづく。「なんにもいらないわけ。シマがいたら。シマがいなくてもいいよ。いなくなっても私はその日からビール飲んでると思うよ。食べられるかはわからないけど。とにかく、…

怖い顔。

島田さんは、怖い顔をしていた。目の前のあっちゃんは、泣いていなかったけど、それはただ、乾いてしまったから。あっちゃんを知る人なら、それは簡単に見分けがつくだろう笑顔だった。「ビールおかわりと、んーなんか臓物系が食べたい。」と、店員さんを呼…

こどもを産むということ2

七五三に、姑からその子の写真が送られてきた。ポストにそれを発見したのは私で、裏庭に続く砂利道に座り込んで開封して、それを見た。あの時、私の脳の回路が、いかれてしまった。雄叫びをあげて泣く私を、両親が引きずって家の中に入れたらしいけど、私は…

こどもを産むということ。

私は、4回妊娠したことがある。 出産したのは2回。あとは、子宮外妊娠と、流産。1度目に産んだ女の子は、今どこにいるのか、もうわからない。その子の父親は優しい人だったけど、たまに私を殴った。犬のことも殴った。妊娠中に手首を切って救急車で運ばれた…

ホームレスと、筆談と。

東京にいた最後の半年間は、ホームレスだった。親と一切の連絡を絶ち、フラフラしていた。その間、いろんな人と知り合った。遊んだり、恋をしたり、お金を稼いだり今思い出しても、あの頃の私は生きていた。もう一生親のもとには帰らないと思っていた。けれ…

風俗の世界。

面接と称したレイプから、私はその男のもとで働きだした。区役所通りの奥の方。清潔とも言えない部屋で、男が連れてくる客とひたすら寝る。黒人の時もあれば、トランクスを履いた女性の時もあった。客と客の間の隙間の時間ベッドに身を投げ出して、天井を見…

屋上からの夜景。

高校を出てすぐ、私は上京した。大学に通いながら、演劇がやりたいと思っていた。サークルの勧誘は、どれも私には賑やかすぎて、なにか部活をやろうと部室めぐりをしていたら探検部という看板を見つけた。ドアをノックすると、金髪の男の子がマンガ片手に出…

どうして話したいの?

焼き鳥屋の個室で向かい合って、また話そうとするあっちゃんに、島田さんは聞いた。なんだろうね。たまには、私がたくさん喋りたいのかな。聞いてくれるだけでいいよ。何かしてほしいわけじゃないよ。ただ聞いて、知ってほしいだけかな。島田さんは、頷く。…

眠れない夜。

私が夜更かしをする時は、怖がっている時だ。悪夢を見そうで、怖がっている時。目を閉じると身体が固まって、息が浅くなる。シマくんを起こさないように寝返りをうつ。寝るもんか。そっちの世界に引き込まれてたまるもんか。そっちの世界がなんなのか、私は…

8.シマくんの気持ち。

結局、話し終える前にお迎えの時間になってしまった。あっちゃんは保育園に小走りで向かう。門をあけると、誰かお友達の声がした。シマくんのママきたよ〜!その子はいつも門の方を見ているんだろう。シマくんのママ〜と話しかけてくるのに手を振る。保育園…

7.キスの温度。

「ね、その前に一回ちゅーしたいよ。」と甘えてみると島田さんは笑う。「どうぞ。」と目を閉じた顔は、子どもみたいに笑いをこらえている。唇をつける。舌で上顎を丁寧になぞる。「昨日エロ動画みててさ、こんなことしてたの。」と言うとぶーっと吹き出す。…

6.チャーミング

「お母さんねぇ。俺はそんな悪い人に思えないんだけどな。」島田さんは言う。「かなり変わってるとは思う。だってさ、俺がお呼ばれした時ずっと言ってたもん。いつもはもっとちゃんとしたご飯作るんですよ〜とか、いつもはもっと家もキレイなんですよ〜とか…

5.憧れはママの甘い子守唄

私と母の関係は、そんなにいいものではない。いい思い出がない、と言った方がいいかもしれない。生まれる前の記憶があったら、どうして彼女のところに来たのかがわかるのに。何度も思っていることだ。はじめてのおつかいという番組が好きな彼女は、画面に向…

4.いつか王子様が迎えにきてくれる。

男運は、お世辞にもいいとは言えない。海辺の田舎町で育った。スナックが立ち並ぶ商店街には昼間から酔っ払いがうろつき、私は通学路で、放課後の小径で、何度も露出狂にあった。父にも兄にも、なぜだか胸やお尻を触られる毎日だった。別に色っぽい子どもだ…

3.島田さんのこと。

「つまり、共感覚があるってこと?それと、思い切って聞くけど、虐待を受けてたってこと?」答えたくないならいいよ。と島田さんは付け加えた。「そうだね。そうみたい。」あっちゃんはよく、こんな風にまとめて答える。慣れた人は、それで全てを分かってく…

2.オレンジ、ピンク、緑の蔓。

私に見えている世界が、みんなには見えていない。それを知ったのはいつだったか。ホットケーキの匂いはオレンジ色には見えないし人の足跡はピンク色ではないしピアノの音は緑の蔓になって私に向かって伸びてくるわけではない。トイレの中で梨の木から生まれ…

1.はじめに。

あっちゃんは、不思議な女の子だった。少し変で、笑っていてもすぐ泣き出すんじゃないかと心配になってしまう女の子だった。あっちゃんはいつもお母さんの話をしてくれた。お母さんが選んでくれた灰色のスカートをはいてお母さんが選んでくれた茶色い靴をは…